地悪く押されもまれて、その上に足を踏みつけられ、おまけに踏んだ人から「間抜けめ、気を付けろい」などと罵《ののし》られて黙っていなければならなかった。このような――当り前ならば多分何でもないと思われるべき事が、しばらく忘れていただけに非常に強く当時の自分の頭に印象された。その時分から妙に電車の乗客の顔が不愉快に陰鬱にあるいは険悪に見え出したのである。そして色々な事を考えてみた。あまり確実な事は云われないが、西洋の電車ではこんな心持のした事はなかったように思う。勿論《もちろん》疲れた眠い顔や、中にはずいぶん緊張した顔もあるにはあったろうが、別にそれがために今のように不愉快な心持はしなかった。人種の差から免れ難い顔の道具の形や居ずまいだけがこのような差別の原因であろうか、何かもっとちがったところに主要な原因があるのではあるまいかと考えてみた。
 先ず堅い高足駄《たかあしだ》をはいて泥田の中をこね歩かなければならない事、それから空風《からかぜ》と戦い砂塵に悩まされなければならない事、このような天然の道具立にかてて加えて、文明の産み出したこの満員電車に割り込んで踏まれ押され罵られなければならない
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング