ないではおかない、そして多くの人の腹の虫の居所を変えさせようとする傾向がある。
 自分がこういう感じを始めてはっきり自覚したのは外国から帰った当座の事であった。二年振りで横浜へ上陸して、埠頭《ふとう》から停車場へ向かう途中で寛闊《かんかつ》な日本服を着て素足で歩いている人々を見た時には、永い間カラーやカフスで責めつけられていた旅の緊張が急に解けるような気がしたが、この心持は間もなく裏切られてしまわねばならなかった。その夜東京の宿屋で寝たら敷蒲団《しきぶとん》が妙に硬くて、まるで張り板の上にでも寝かされるような気がした。便所へ行くとそれが甚だしく不潔で顔中の神経を刺戟された。翌朝久し振りで足駄を買って履《は》いてみると、これがまた妙にぎごちないものであった。そして春田のような泥濘《ぬかるみ》の町を骨を折って歩かなければならなかった。そのうちに天気が好くなると今度は強い南のから風が吹いて、呼吸《いき》もつまりそうな黄塵《こうじん》の中を泳ぐようにして駆けまわらねばならなかった。そして帽子をさらわれないために間断なき注意を余儀なくさせられた。電車に乗ると大抵満員――それが日本特有の満員で、意
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