らである。
しかしこの「子供の私」は今でも「おとなの私」の中のどこかに隠れている。そして意外な時に出て来て外界をのぞく事がある。たとえば郊外を歩いていて道ばたの名もない草の花を見る時や、あるいは遠くの杉《すぎ》の木のこずえの神秘的な色彩を見ている時に、わずかの瞬間だけではあるが、このえび[#「えび」に傍点]の幻影を認める事ができる。それが消えたあとに残るものは淡い「時の悲しみ」である。
自然くらい人間に親切なものはない。そしてその親切さは田舎《いなか》の人の親切さとは全く種類のちがったものである。都会にはこの自然が欠乏していてそのかわりに田舎の「人」が入り込んでいるのである。
四
盆踊りというものはこのごろもうなくなったのか、それとも警察の監視のもとにある形式で保存されている所もあるかどうだか私は知らない。
私が前後にただ一度盆踊りを見たのは今から二十年ほど前に南海のある漁村での事であった。肺結核でそこに転地しているある人を見舞いに行って一晩泊まった時がちょうど旧暦の盆の幾日かであった。蒸し暑い、蚊の多い、そしてどことなく魚臭い夕靄《ゆうもや》の上を眠いような月が照らしていた。
貴船神社《きふねじんじゃ》の森影の広場にほんの五六人の影が踊っていた。どういう人たちであったかそれはもう覚えていない。私にはただなんとなくそれがおとぎ話にあるようなさびしい山中の妖精《ようせい》の舞踊を思い出させた。そしてその時なぜだか感傷的な気分を誘われた。
その時見舞った病人はそれからまもなくなくなったのである。
私は今でも盆踊りというとその夜を思い出すが、不思議な錯覚から、その時踊っていた妖精《ようせい》のような人影の中に、死んだその人の影がいっしょに踊っていたのだというような気がしてしかたがない。
そして思う。西洋くさい文明が田舎《いなか》のすみずみまで広がって行っても、盆の月夜には、どこかの山影のような所で、昔からの大和民族《やまとみんぞく》の影が昔の踊りを踊っているのではあるまいかと。
盆踊りという言葉にはイディルリックなそしてセンシュアスな余韻がある。しかしそれはどうしても現代のものではない。その余韻の源にさかのぼって行くと徳川時代などを突き抜けて遠い遠い古事記などの時代に到着する。
盆踊りのまだ行なわれている所があればそこにはどこかに奈良
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