勉《つと》められることを希望する。ただ、出来るなら、もう少し動的な排列にしたらどうかと思ったことであった。
二科の彫刻塑像には帝展などのとちがって何となく親しめるものが多い。自分は、彫刻を見た時に何となく両手の掌で撫《な》でてみたくなるようなものならきっといいものだ、という妙な迷信をもっている。二科会の今年の出品中の若干の人間の首などにはやはりそんなのがある。しかしメストロウィークを崩したような大物になると、どうにも自分などのようなものの好意の圏外に飛出してしまう。
美術院はほとんど素通りした。どちらを見ても近寄ってよく見ようというような誘惑を感じるものはほとんどなかった。絵でも人間でも一と目で先ず引き付けられないようなものにはやはり何か足りないものがあるかと思う。美術批評家でも何でもない自分等は、そういう第一印象を無視して無理に職務的に理論的に一つ一つの絵の鑑賞点を虫眼鏡で掘り出す気にはどうにもなれないのである。
横山大観氏の絵だけには、いつでも何かしら人を引きつける多少の内容といったようなものがある。決して空虚な絵を描かない人である。今年の幽霊のような女の絵でも、決して好きに
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