ような痕《あと》が見える。
 きたなく汚れて、それでいて実に美しいものも世の中にはある。ヴェニスの街のような者がそれである。綺麗できたないものは近頃の絵にはいくらでもあるのである。大家の絵にもそれがある。
 いわゆるプロ絵なるものはどうしてああ鈍い色彩の間の抜けた構図ばかりしなければならないか了解が出来ない。文部省も内務省もこの点は意を安んじてもいいであろうと思われた。こういう絵を見ては誰でも資本主義を謳歌したくなる。
 安井氏の「風吹く湖畔」を見ると日本の夏に特有な妙に仇白《あだじろ》く空虚なしかし強烈な白光を想い出させられるが、しかしそういう点ではむしろ先年の「海岸風景」の方から一層強い印象を受けたような気がした。ともかくもこの日本の白い夏の光は絶望の悲哀といったようなものを含んでいる。それを発見したのは安井氏であるような気がする。
 石井氏の「二科同人群像」には単なる似顔の集成でなく、各メンバーの排置のみならずそのポーズや服装によって各自の個性を表現しようという苦心の痕が覗われる。とにかく、このような同人群像を試みるとしてはおそらく最も適任な石井氏が更に研究を重ねてこの絵の完成に
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