と南画のような味がある。しかしこういう絵もこのままではすぐ行き詰りになりやすい。
円筒形の上の断面を楕円形に表わして、底面の方は直線でかいてしまう事が流行するようである。こういう流行は永くはつづくまい。
「天然」と絵具だけからは絵は生れないし、「自己」と絵具ばかりからも絵は生れない。自己と天然と真剣に取組み合わなければ駄目だと思う。昔は天然と絵具だけで出来た無意義な絵が多かったが、近頃は反対に自己と絵具だけの空虚な絵が多くなった。こういう絵にとっては自己がどんな自己であるかが生命である。それを充実させるためには、やはり天然の資料を豊富に摂取する事が須要《しゅよう》である。資料の供給の無い自己はやがて空虚になる。そして空虚な自己の表現は芸術にならない。
林|武《たけし》氏の絵は今年はあまりふるわない。しかし、こういう風に、いい加減なところで収まってしまわないで、何かしら煩悶しているような未成の絵は、やはり頼母しいという感じを起させる。不出来でも何でも、とにかく自分の絵を描こうとしているように見える。フランス人の画を見てすぐに要領を修得したような軽薄な絵を見るよりは数倍気持がいいと
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