記憶に残っている。今から考えてみると日下部博士のようなオリジナルな頭脳をもった人には、多く読み少なく考えるという事はたといしようと思ってもできない相談であったかもしれない。書物を開いて、ものの半ページも読んで行くうちに、いろいろの疑問や思いつきが雲のごとくむらがりわき起こって、そのほうの始末に興味を吸収されてしまうような場合が多かったのではないかと想像される。
 こういう種類の頭脳に対しては書籍は一種の点火器のような役目をつとめるだけの場合が多いようである。大きな炎をあげて燃え上がるべき燃料は始めから内在しているのである。これに反してたとえば昔の漢学の先生のうちのある型の人々の頭はいわば鉄筋コンクリートでできた明き倉庫のようなものであったかもしれない。そうしてその中に集積される材料にはことごとく防火剤が施されていたもののようである。
 いずれにしても無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である。書物のなかったあるいは少なかった時代の人間のほうがはるかに利口であったような気もするが、これは疑問として保留するとして、書物の珍しかった時代の人間が書物によって得られた幸福の分量なり
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