れない。
 化粧品や売薬と、商品として見た書籍とを比較する場合に一つの大きな差別の目標となるのは、古本屋というものに対する古化粧品屋、古売薬屋の存在しないことである。神田《かんだ》の夜店を一晩じゅう捜してもたぶん明治年間に流行した化粧品売薬を求めることはできないであろう。しかし書籍ならば大概のものは有数な古書籍店に頼んでおけばどこかで掘り出して来てもらえるようである。
 それにしても神保町《じんぼうちょう》の夜の露店の照明の下に背を並べている円本《えんぽん》などを見る感じはまずバナナや靴下《くつした》のはたき売りと実質的にもそうたいした変わりはない。むしろバナナのほうは景気がいいが、書物のほうはさびしい。
「二人行脚《ににんあんぎゃ》」の著者故|日下部四郎太《くさかべしろうた》博士がまだ大学院学生で岩石の弾性を研究していたころのことである。一日氏の机上においてある紙片を見ると英語で座右の銘とでもいったような金言の類が数行書いてあった。その冒頭の一句が「少なく読み、多く考えよ」というのであった。他の文句は忘れてしまったが、その当時の自分の心境にこの文句だけが適応したと見えて今でもはっきり
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