》長くて灯を点《とぼ》したる、これは昔蛇の住みし穴かと云いししれ者の事など思い出す。静岡にて乗客多く入れ換りたれど美人らしきは遂に乗らず。東の方は村雨《むらさめ》すと覚しく、灰色の雲の中に隠見する岬頭《こうとう》いくつ模糊《もこ》として墨絵に似たり。それに引きかえて西の空|麗《うるわ》しく晴れて白砂青松に日の光鮮やかなる、これは水彩画にも譬《たと》うべし。雨と晴れとの中にありて雲と共に東へ/\と行くなれば、ふるかと思えば晴れ晴るゝかと思えばまた大粒の雨|玻璃窓《はりまど》を斜に打つ変幻極まりなき面白さに思わず窓縁《まどべり》をたたいて妙と呼ぶ。車の音に消されて他人に聞えざりしこそ仕合せなりける。
大井川の水|涸《か》れ/\にして蛇籠《じゃかご》に草離々たる、越すに越されざりし「朝貌《あさがお》日記」何とかの段は更なり、雲助《くもすけ》とかの肩によって渡る御侍、磧《かわら》に錫杖《しゃくじょう》立てて歌よむ行脚《あんぎゃ》など廻り燈籠のように眼前に浮ぶ心地せらる。街道の並木の松さすがに昔の名残を止むれども道脇の茶店いたずらにあれて鳥毛挟箱《とりげはさみばこ》の行列見るに由《よし》なく、
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