僅かに馬士歌《まごうた》の哀れを止むるのみなるも改まる御代《みよ》に余命つなぎ得し白髪の媼《おうな》が囲炉裏《いろり》のそばに水洟《みずばな》すゝりながら孫|玄孫《やしゃご》への語り草なるべし。
 このあたりの景色|北斎《ほくさい》が道中画譜をそのままなり。興津《おきつ》を過ぐる頃は雨となりたれば富士も三保《みほ》も見えず、真青なる海に白浪風に騒ぎ漁《すなど》る船の影も見えず、磯辺の砂雨にぬれてうるわしく、先手の隧道《ずいどう》もまた画中のものなり。
 此処小駅ながら近来海水浴場開けて都府の人士の避暑に来るが多ければ次第に繁昌する由なり。岩淵《いわぶち》の辺|甘蔗畑《かんしょばたけ》多くあり。折から畑に入るゝ肥料なるべし異様のかおり鼻を突きて静岡にて求めし弁当開ける人の胸悪くせしも可笑しかりける。沼津を過ぐれども雨雲ふさがりて富士も見えず。
 御殿場《ごてんば》にて乗客更に増したる窮屈さ、こうなれば日の照らぬがせめてもの仕合せなり。小山《おやま》。山北《やまきた》も近づけば道は次第上りとなりて渓流脚下に遠く音あり。一八《いちはつ》の屋根に鶏鳴きて雨を帯びたる風山田に青く、車中には御殿場
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