笛の止む間もなし。人来り人去っていつまでも待合の隅に居残るは吾等のみなるぞつまらなき。ようやく十二時となりて、プラットフォームに出でんとすればこの次のなりとてつきかえされし、重ね/\の失敗なりける。ようやくにして新橋行のに乗り込む。客車狭くして腰掛のうす汚きも我慢して座を占むれば窓外のもの動き出して新聞売の声後になる。右には未だ青き稲田を距《へだ》てて白砂青松の中に白堊の高楼|蜑《あま》の塩屋《しおや》に交じり、その上に一抹の海青く汽船の往復する見ゆ。左に従い来る山々|山骨《さんこつ》黄色く現われてまばらなる小松ちびけたり。中に兜《かぶと》の鉢を伏せたらんがごとき山見え隠れするを向いの商人|体《てい》の男に問う。何とか云いしも車の音に消されて判らず。再三問いかえせしも訛《なまり》の耳なれぬ故か終《つい》にわからず。気の毒にもあり可笑しくもあれば終にそのままに止みぬ。後にて聞けば甲山《かぶとやま》と云う由。あたりの山と著しく模様変れるはいずれ別に火山作用にて隆起せるなるべし。これのみは樹木黒く茂りたり。
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蝉なくや小松まばらに山|禿《はげ》たり
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