)(ヂ)(ツ)(ビー)(ビ)(アン)(ナ)(カ)(ムト)(リ)(フイ)。
(ルー)(ヒー)(フイ)(ダー)(カ)(ア)(ラフ)(タ)(アム)(ラム)(タフ)(リ)(フイ)。
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 ギリシアのエピグラムの二行詩は形の上では何と云っても一番よく和歌に似ている。これも例えば長母音を勝手に二音に数えたり、重母音を自己流に分けたり合したりすると短歌と同じ口調に読めるものが多数にある。この場合は第二句の方が短いからなおさら都合がよいのである。例えば
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(ヒツ)(ポン)(ヒユ)(ポ)(スコ)(メ)(ノス)(モイ)(オ)(リユム)(ピ)(オス)(エ)(ガ)(ゲン)(ウ)(ラン)。
(ヘス)(オ)(ソ)(ゴ)(ドラ)(ネ)(オーン)(ヒツ)(ポス)(ア)(ペ)(クレ)(マ)(ト)。
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 などは十二、五、七、七と切って読んでもさしつかえはなさそうである。
 「オリュンポスが馬を一匹くれるはずであったが、馬の代りに尻尾を一本くれた。その尻尾の端には最後の息をしている馬がぶら下がっていた」というので馬鹿気ているが、何処かしら古代日本人のユーモアとウィットを想わせるものがあると思う。以上のような読み方をするのはアカデミックな言語学者から見れば言語道断な乱暴な所業であるに相違ない。しかし古代の人間は文法も音韻方則も何も知らなかった。明治の日本人がステンショとかオーフルコートとか称したことを考え、昭和の吾々がビルジングとかブデンとか云っていることを考えればこれくらいはゆるしてもらってもいいであろう。
 このような類似な詩形が諸所にあるのは偶然の一致かも知れない。人間の一と息に歌い得る綴音の数は、息の長さを一綴音の平均の長さで割れば得られる。それで、一綴音を明瞭に発音するに必要な時間に一定の制限があるとすれば、事柄はほぼ決定してしまうはずである。
 しかしまた一方でこれらの民族の間に昔から交通のあった事は事実である。ギリシア人と中央アジア並びにインド人と交渉のあったことは確かであり、後者とシナ人、シナ人と日本人とそれぞれの交通のあったことも間違いないとすれば、歌謡のごときものが全く相互沒交渉に別々に発達したと断定するのも少し危険なような気がするのである。それかと云ってこれらの関係を本式に研究するのはなかなか容易ならぬ難事業で、多数
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