短歌の詩形
寺田寅彦
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)犀《さい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)到底|喙《くちばし》を容れる資格
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)孑※[#「子の一が右半分だけ」、第4水準2−5−87]《ぼうふら》
−−
比較的新しい地質時代に日本とアジア大陸とは陸続きになっていて、象や犀《さい》の先祖が大陸からの徒歩旅行の果に、東端の日本の土地に到着し、現在の吾々の住まっているここらあたりをうろついていたということは地質学者の研究によって明らかになった事実である。しかしその頃既に人間の先祖が象と一緒に歩いていたかどうかはよく分らない。
それはとにかく、日本が大陸から千切れて島国になっても、船というものを造ることに成効した人間は、永い間に、何遍となくそうして色々な方面から日本の国に渡って来たであろう。それと同時に多種多様な民族の色々な文化の流れがこの極東の細長い島環国の中に合流し集注したであろう。従って我等の国語にはあらゆる民族の言語が混淆し融合してしまって、今となっては容易に分析することが出来ないようになってしまっているように思われる。我等の同胞の顔貌の中にはまたあらゆる人種の定型がそれぞれに標本的に洩れなく代表されているようである。
日本人が真に日本の土の中から生れ、日本の言語が全く独立に発生したと考えるのは、孑※[#「子の一が右半分だけ」、第4水準2−5−87]《ぼうふら》が水から発生すると考えるよりも一層非科学的である。同様に例えば日本の短歌の詩形が日本で始めて発生したものと速断するのも所由《いわれ》のないことであろうと思う。
五七五七七という音数律そのままのものは勿論現在では日本特有のものであろうが、この詩形の遠い先祖となるべきものが必ず何処かにあったであろうと想像し、その同じ先祖から出た他の家族が何処かにありはしなかったかと想像するのはそれほど唐突な空想とは思われない。
『古事記』に現われた色々の歌謡の音数排列を調べてみるとかなり複雑なものがあって到底容易には簡単な方則を見つけるわけに行かない。九、十、十一、十二、十四等の音から成る詩句が色々に重畳しているというだけしか分
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング