りかねる。ただこういうものからだんだんに現在の短歌型式が発生して来たであろうということは、これらの詩の中で五および七の音数から成るものが著しく多数であることから想像される。しかしこれも本当の統計的研究をした上でなければ確かな事は云われない。今ここで問題にしようというのは、『古事記』の中の古い歌謡から現在の短歌への進化の経路を追跡しようというのではなくて、反対にこれらの古い歌謡と先祖を同じくする遠い親類のようなものが何処か大陸にありはしないかということである。
こういう問題に対して自分は到底|喙《くちばし》を容れる資格のないものであるが、ただ手近な貧しい材料だけについて少しばかり考えてみる。
漢詩の五言、七言の連続も、何かしらある遠い関係を思わせる。例えば李白の詩を見ても、一つの長詩の中に七言が続く中に五言が交じり、どうかすると、六言八言九言の交じることもある。四言詩の中に五言六言の句の混入することもあるのである。
中央アジア東トルキスタン辺の歌謡を見ると勿論色々な型式があるが、中には八、五、八、五の型式がある。例えば
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(サフル)(ワク)(チ)(ダ)(チル)(ラ)(ガ)(レ)。
(チア)(ク)(ラズ)(ヤク)(シ)。
(ク)(シヤク)(ク)(シユプ)(イ)(グラ)(ガ)(レ)。
(カ)(リン)(ダシ)(ヤク)(シ)。
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括弧の中が一シラブルである。これらは少しの読み方で七五調に読めば読まれなくはない。
サンスクリトの詩句にも色々の定型があるようであるが、十六綴音を一句とするものの連続が甚だ多いらしい。それを少し我儘な日本流に崩して読むと、十七、十四、十七、十四、とつまり短歌の連続のように読む事が可能である。例えば
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(サル)(ワ)(カー)(マ)(サ)(ムリ)(ダ)(シア)(アシユ)(ワ)(メ)(ダ)(シア)(ヤト)(フア)(ラム)。
(タト)(フア)(ラム)(ラ)(バ)(テ)(サ)(ミアグ)(ラ)(クシ)(テ)(シア)(ラ)(ナー)(ガ)(テ)。
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アラビアの詩にも十五種ほどもミーターの種類があるらしいが、その中でも十五、十五の連続あるいは八、八、八、八の連続などは乱暴に読めば短歌風に読まれなくはない。前者の例は
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(カル)(ビー)(ツ)(ハド
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