! と叫んだ。私はそのときの主婦の灰汁《あく》の強過ぎるパリジェンヌぶりに軽い反感を覚えないではいられなかったのであった。
あとで担保に入れてあったガージュを銘々に返していたとき、一本の鉛筆をさし上げて「これはどなたのでしたか」と主婦が尋ねたら、一座の中の二人のイタリア女の若い方が軽く立上がって親指で自身の胸を指さし、ただ一言ゆっくり静かに Il mio. と云った。そのときほど私はイタリア語というものを優美なものに思ったことはないような気がする。
ドイツの冬夜の追憶についてはもう前に少しばかり書いたような気がするが、今この瞬間に突然想い出したのはゲッチンゲンの歳暮のある夜のことである。雪が降り出して夜中には相当積もった。明りを消して寝ようとしていると窓外に馬の蹄《ひづめ》の音とシャン/\/\という耳馴れぬ鈴の音がする。カーテンを上げて覗《のぞ》いてみると、人気《ひとけ》のない深夜の裏通りを一台の雪橇《ゆきぞり》が辷《すべ》って行く、と思う間もなく、もう町のカーヴを曲って見えなくなってしまった。
子供の時分にナショナルリーダーを教わったときに生れてはじめて雪橇というものの名を聞き覚え、その絵を見て、限りなき好奇心と異国の冬への憧憬を喚び起こされたのであったが、その実物をこの眼に見、その鈴の音を耳にしたのは実にこの夜が初めてでありそうしてまたおそらく最後でもあった。しかも、それがかすかな雪明かりに窓からちらと見えた後影だけで消えてしまった。それだけにその印象はかえって一倍強烈であったのかもしれない。ともかくもその瞬間に自分が子供の時分に夢みていた生粋《きっすい》の西洋というものが忽然と眼前に現われて忽然と消えてしまったのであった。今の日本人ことに都会人が西洋へ行って西洋の都市に暮していても、真に西洋を感じるということはおそらく比較的稀であろう。ただかえってこんな思わぬ不用意の瞬間に閃光のごとくそれを感じるだけであろうかと思われる。
この雪夜の橇の幻の追憶はまた妙な聯想を呼出す。父が日清戦争に予備役で召集されて名古屋にいたのを、冬の休みに尋ねて行ってしばらく同じ宿屋に泊っていたときのことである。戦争中で夜までも忙がしいので父の帰りは遅いことがしばしばあった。自分だけ早くから寝てもなかなか寝付かれないので、もう帰るかもう帰るかと心待ちにしていると自然と表通りを去
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング