は第一次とほぼ同じようなことになるのである。とにかく幼少なる「加八」君はここでそのありたけの深謀をちゃんちゃんこの裏にめぐらして最後の狙いを定めて「ズドーン」と云って火蓋を切る真似をする。うまく当れば当てられたのが代って「加八」になり当てた「加八」が庄屋になる。当らなかったら当るまで同じことを繰返すのである。
「神鳴り」というのは、一人が雷神になって例えば障子の外の縁側へ出て戸をたたいて雷鳴の真似をする。大勢で車座に坐って茶碗でも石塊《いしころ》でも順々に手渡しして行く。雷の音が次第に急になって最後にドシーンと落雷したときに運|拙《つたな》くその廻送中の品を手に持っていた人が「罰」を受けて何かさせられるのである。
 パリに滞在中下宿の人達がある夜集まって遊んでいたとき「ノーフラージュ」をやろうと云い出したものがあった。この「難破船」の遊びが前述の「神鳴り」とそっくり同じようである。
 先ずはじめに銘々の持ちものを何か一つずつ担保《たんぽ》 gage として提供させる。それから一人「船長」がきめられる。次にテーブルを囲んだ人々の環を伝わって卓の下でこそこそと品物が廻される。口々に La mer est calme, la mer est calme.(好い凪《なぎ》だ)と云っている。次に何と云ったか忘れたが、とにかく「海が荒れ出した」という意味の言葉を繰返している。その間にも断えず皆が卓の下で次々に品物を渡しているような真似をしている、その人の環のどこかを実際に品物が移動しているのである。船長がいきなり「ノーフラージュ(難船)」と怒鳴ると、移動がぴたりと止まるのである。自分も一度運悪くこの難船にぶつかって何かケルクショーズをしなければならないことになったので、そのケルクショーズの思案に苦しんでいたら隣席の若いドイツ人がドイツ語でこっそり「いちばん年とったダーメに花を捧げたまえ」と教えてくれた。幸いにドイツ語はこの席の誰にも通じなかったのである。そこで私は立って窓枠にのせてあった草花の鉢をもって片隅に始めから黙って坐っていた半白《はんぱく》の老寡婦《ろうかふ》の前に進み、うやうやしくそれを捧げる真似をしたら皆が喜んでブラボーを叫んだり手と拍《たた》いたりした。その時主婦のルコック夫人が甲高《かんだか》い声を張上げて Elle a rougi ! elle a rougi
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