先ずホクチに点火しておいてさらに附け木を燃やしその焔を燈心に移すのであった。燧の鉄と石の触れあう音、迸《ほとばし》る火花、ホクチの燃えるかすかな囁き、附け木の燃えつくときの蒼白な焔の色と亜硫酸の臭気、こうした感覚のコムプレッキスには祖先幾百年の夢と詩が結び付いていたような気がする。
マッチのことは「スリツケ」と云った。「摺り附け木」の略称である。高等小学校の理科の時間にTK先生という先生が坩堝《るつぼ》の底に入れた塩酸カリの粉に赤燐《せきりん》をちょっぴり振りかけたのを鞭《むち》の先でちょっとつつくとぱっと発火するという実験をやって見せてくれたことを思い出す。そのとき先生自身がひどく吃驚《びっくり》した顔を今でもはっきり想い出すことが出来る。
マッチの軸木を並べてする色々の西洋のトリックを当時の少年雑誌で読んではそれを実演して友達や甥などと冬の夜長を過ごしたものである。
まだ少年雑誌などというものの存在を知らなかった頃の冬夜の子供遊びにはよく「火渡し」「しりつぎ」をやったものである。日本紙を幅五、六分に引き裂いたのに火鉢の灰を少し包み込んで線香大の棒形に捻《ひね》る。その一端に火をつけて「火渡し」と云って次の人に渡すと、次の人は「しりつぎ」と答えて次へ廻す、それからだんだんに東京でいわゆる「尻取り」をするのであるが、言葉に窮して考えている間に火が消えるとその人は何かしら罰として道化た隠し芸を提供実演しなければならないのである。
その外に「カアチ/\」という遊びがあった。詳しいことは忘れたが、何でも庄屋《しょうや》になる人と猟師(加八《かはち》という名になっている)になる人の外に、狸や猪や熊や色々の動物になる人を籤引《くじき》きできめる。そこで庄屋になった人が「カアチ/\鉄砲打て」と命ずると、「カアチ(加八)」になった子が「何を打ちましょう」と聞く。そこで庄屋殿が例えば「狸」と仰せられると加八は一同の顔色を注意深く観察して誰が「狸」であるかを観破するために云わば読心術の練習のようなことをする。「狸」でない子がわざとなんだか落着かないような様子をして天井を仰いでみたり鼻をこすってみたりして牽制しようとするなどはきわめて初歩であるので、その裏をかくつもりで「狸」自身がわざとそのような振りをすることもある。これを仮に第二次の作戦とすると、そのもう一つ上の第三次の方策
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