られなかった大兵肥満の豪傑が一方の代表者で、これに対する反対に気の強い方の例として挙げられたのは六十余歳の老婆であった。舌癌《ぜつがん》で舌の右だか左だかの半分を剪断《せんだん》するというので、麻酔をかけようとしたら、そんなものは要らないと云ってどうしても聞かない。それで麻酔なしでこの出血のはなはだしし手術を遂行したが、おしまいまでいっこうに平気で苦痛の顔色を示さなかった。その後数ヶ月たって後にまた残りの半分の舌がいけなくなった。今度は麻酔をかけようかと云ったら、やはり承知しないのでまた素面《しらふ》で手術を受けてとうとう完全な舌切婆さんになったということであった。その後がどうなったかは聞かなかったような気がする。
その頃、自分の家ではあまりかからなかったが、親類で始終頼んでいた横山先生という面白い医者があった。畸人《きじん》という通称があったが、しかし難儀な病気の診断が上手だと云う評判であった。ある時山奥のまた山奥から出て来た病人でどの医者にも診断のつかない不思議な難病の携帯者があった。横山先生のところへ連れて行くと、先生は一目見ただけで、これはじきに直る、毎日上白米を何合ずつ焚い
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