おかげである。
 岡村先生が亡くなって後は小松という医者の厄介になった。老先生と若先生と二人で患家を引受けていたが、老先生の方はでっぷりした上品な白髪のお茶人で、父の茶の湯の友達であった。たしか謡曲や仕舞《しまい》も上手であったかと思う。若先生も典型的な温雅の紳士で、いつも優長な黒紋付姿を抱車《かかえぐるま》の上に横たえていた。うちの女中などの尊敬の対象であったようである。その若先生が折々自分の我儘《わがまま》な願いに応じて「化学的手品」の薬品を調合してくれたりした。無色の液体を二種混合するとたちまち赤や黄に変り、次に第三の液を加えるとまた無色になると云ったようなのを幾種類か用意してもらって、近所の友達を集めては得意になって化学的デモンストラチオンをやって見せたのであった。いつかこの若先生のところで顕微鏡を見せてもらって色々のプレパラートをのぞいているうちに一つの不思議な重大なアポカリプスを見せられた。後で考えてみたらそれは人間のスペルマトゾーンの一集団であったのである。それからまた珪藻《けいそう》のプレパラートを見せられ、これの視像の鮮明さで顕微鏡の良否が分かると教えられた。その後二
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