うちょっと変った習慣の持主であった。
いつか熱が出て床《とこ》に就いて、誰も居ない部屋にただ一人で寝ていたとき、何かしら独り言を云っていた。ふと気が付いて見るといつの間に這入って来たか枕元に端然とこの岡村先生が坐っていたので、吃驚《びっくり》してしまって、そうして今の独語を聞かれたのではないかと思って、ひどく恥ずかしい思いをした。しかし何を言っていたかは今少しも覚えていない。ただ恥ずかしかった事だけはっきり想い出すのである。もちろん云っていた事柄が恥ずかしかった訳ではなくて独語を云っていた事が恥ずかしかったのである。
五、六歳の頃好きな赤飯を喰い過ぎて腹をこわした結果「脳膜※[#「火+欣」、第3水準1−87−48]衝《のうまくきんしょう》」という病気になって一時は生命を気遣《きづか》われたが、この岡村先生のおかげで治ったそうである。たぶん今云う疫痢《えきり》であったろうと思われる。死ぬか、馬鹿になるか、と思われたそうであるが、幸いに死なずにすんでその代り少し馬鹿になったために、力に合わぬ物理学などに志して生涯恥をかくようになったのかもしれない。とにかく命を助かったのはこの岡村先生の
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