ペシアリズムは結局コンヴェンションであって理想ではない。われわれはよくそれを忘れる。そして自分の専門外の事に興味を失いやすい。セリストもピアニストも目ざすところは音楽であるように、われわれ物理学者も専門のいかんによらず目ざすところは物理[#「物理」に白丸傍点]であろう。

   四

「京師《けいし》に応挙《おうきょ》という画人あり。生まれは丹波《たんば》の笹山《ささやま》の者なり。京にいでて一風の画を描出す。唐画にもあらず。和風にもあらず。自己の工夫《くふう》にて。新裳《しんしょう》を出しければ。京じゅう妙手として。皆まねをして。はなはだ流行せり。今に至りてはそれも見あきてすたりぬ。また江戸は奥州《おうしゅう》のかたへ属して。気質も京人のようにはなし。唐画にも。和画にも似ぬ風はのみ込まぬ事にて。わが自身|工夫《くふう》したりと言いては。それは法がないと言いて。請け取らず。しかれども。画はその物の形を見て。その形に似るをよしとす。法手本とするところは。すなわちその物なりと心得たる者も無きにもあらず。……」(司馬江漢《しばこうかん》、『春波楼筆記《しゅんぱろうひっき》』)
 科学界にも京
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