たたき折られ踏みつぶされる心配があるからである。いくら折られつぶされても決して絶滅する恐れはないにしてもそのために要求される犠牲の価は時には安くないものになる。
 そのような侵略的な宣伝が現在どこにあるかと聞かれるとすぐ適例をあげる事は困難かもしれない。しかし現在の宣伝という言葉には、いつでも、どことなしにそういう「におい」があり「影」があると言えば、それはおそらく多くの人が首肯するであろう。ある一部の人々が宣伝というものに対していだいている漠然《ばくぜん》とした反感のようなものも、一つはここに帰因するのであろう。
 店の飾りや、広告の楽隊や、旗印を押し立てた自動車やは、あれは最も罪のない宣伝方法に属する。それが陽気で眩目的《げんもくてき》であるだけに効果は大概皮相的で、人の心のほんの上面をなでるだけである。そしてなでられたくない人は、自由にそれを避ける事ができる。人の門内や玄関まで押しかけて来ない。その点でも市会議員の選挙運動などよりはよほど穏やかでいいものである。
 政党の宣伝などに行なわるる手段方法については多くを知らないが、いずれにしてもこれは便宜上の動機から来る宣伝で、始めか
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