たと思われるのはマホメットのコーランにおける、オラーフ王のキリスト教におけるごときがそれである。宣伝を受けないものはそのかわりに剣戟《けんげき》を受けねばならなかった。緑色でないあらゆる花はたたき折られふみにじられた。それでも幸いに今日紅紫の花の種は絶えていない。
 ナポレオンは「フランス」を宣伝し、カイザーは「ドイツ」を宣伝した。これらはある意味ではたしかにききめはあった。しかしこの場合にも罪のない紅の花は数限りもなく折られ踏みつぶされて、しかしておしまいには宣伝者自身それらの落花の中に埋められた。その墓場からはやはりいろいろの草花が咲き出ている。
 宣伝される事がらがかりに「悪い事」や「無理な事」や「危険な事」であったとしたら、その場合には結果はたいして恐るべきものではあるまいと思う。なぜと言えば、そういう宣伝は無制限に波及する気づかいがないからである。これに反して「善《よ》い事」の宣伝のほうはかえってはるかに危険であるかもしれない。なぜとならば、それはひょっとしたらどこまでも広がるかもしれないという恐れがあるからである。そうしてこの一つの「善い事」のために他にあらゆる「善い事」が
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