を第一にしたお正月料理は結局見るだけのものである。
 二、三軒廻って吸物の汁だけ吸うのでも、胸がいっぱいになってしまう。そうして新玉《あらたま》の春の空の光がひどく憂鬱に見えるのである。
 子供の時分の正月の記憶で身に沁みた寒さに関するものは、着馴れぬ絹物の妙につめたい手ざわりと、穿《は》きなれぬまちの高い袴《はかま》に釣上げられた裾の冷え心地であった。その高い襠《まち》で擦《す》れた内股《うちまた》にひびが切れて、風呂に入るとこれにひどくしみて痛むのもつらかった。
 今はどうか知らないが昔の田舎の風として来客に食物を無理強《むりじ》いに強いるのが礼の厚いものとなっていたから、雑煮《ぞうに》でももう喰べられないといってもなかなかゆるしてくれなかったものである。尤も雑煮の競食などということが普通に行われていた頃であるから多くの人には切餅の一片二片は問題にならなかったかもしれないが、四軒五軒と廻る先々での一片二片はそうそう楽なものではないのである。いよいよはいり切らなくなって吐き出し始めたら餅が一とつながりの紐《ひも》になって果てしもなく続いて出て来たなどという話を聞かされたこともある。真
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