昔現在の家を建てたとき一番日当りがよくて庭の眺めのいい室を応接間にしたら、ある口の悪い奥さんから「たいそう御客様本位ですね」と云って、底に一抹《いちまつ》の軽い非難を含んだような讃辞を頂戴したことがあった。この奥さんの寸言の深い意味に思い当る次第である。
 屠蘇《とそ》と吸物が出る。この屠蘇の盃が往々甚だしく多量の塵埃を被《かぶ》っていることがある。尤も屠蘇そのものが既に塵埃の集塊のようなものかもしれないが、正月の引盃《ひきさかずき》の朱漆の面に膠着《こうちゃく》した塵はこれとは性質がちがい、また附着した菌の数も相当に多そうである。日当りの悪い部屋だと塵の目立たぬ代りに菌数は多いであろう。アルコールで消毒はされるかもしれないがあまり気持の好いものではない。
 屠蘇と一緒に出される吸物も案外に厄介《やっかい》なものである。歯の悪いのに蛤《はまぐり》の吸物などは一番当惑する。吉例だとあって朝鮮の鶴と称するものの吸物を出す家があったが、それが妙に天井の煤《すす》のような臭気のある襤褸切《ぼろぎ》れのような、どうにも咽喉に這入りかねるものであった。
 御膳が出て御馳走が色々並んでも綺麗な色取り
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