につれて私は、東京という処は案外に不便な処だという気がして来た。
 もし万一の自然の災害か、あるいは人間の故障、例えば同盟罷業《どうめいひぎょう》やなにかのために、電流の供給が中絶するような場合が起ったらどうだろうという気もした。そういう事は非常に稀な事とも思われなかった。一晩くらいなら蝋燭で間に合せるにしても、もし数日も続いたら誰もランプが欲しくなりはしないだろうか。
 これに限らず一体に吾々は平生あまりに現在の脆弱《ぜいじゃく》な文明的設備に信頼し過ぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電流や瓦斯《ガス》の供給が絶たれて狼狽する事はあっても、しばらくすれば忘れてしまう。そうしてもっと甚だしい、もっと永続きのする断水や停電の可能性がいつでも目前にある事は考えない。
 人間はいつ死ぬか分らぬように器械はいつ故障が起るか分らない。殊に日本で出来た品物には誤魔化《ごまか》しが多いから猶更である。
 ランプが見付からない不平から、ついこんな事まで考えたりした。
 そのうちに偶然ある人から日本橋区のある町に石油ランプを売っている店があるという事を教えられた。や
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