そのほかに一枚青衣の少女の合掌した半身像があった。これは両親と自分との居間の※[#「木+眉」、第3水準1−85−86]間《びかん》に掲げられたままで長い年月を経た。中学の同級生のうちで自分がこういう少女像の額なんか掛けているのをおかしいと言って非難するものもあった。十九の年に中学を出てから他郷に流寓《りゅうぐう》した。妻を迎えて東京をあっちこっちと移り住んだ。その間に年に一度ぐらい帰省するそのたびにこの少女像は昔のままに同じ※[#「木+眉」、第3水準1−85−86]間に同じ姿勢のままに合掌して聖母像を見守っていたのである。
父がなくなってから郷里の家をたたんだ時にこれらの「油絵」がどうなったか。不思議なことにはこれに関する自分の記憶が全く空白になっている。事によると自分が家の始末に帰る前にもう取り片付けに着手していた母の手で何かといっしょに倉の中へしまい込まれて今でもどこかに自分の所有物として現存しているのか、それとも雑品の中に交じってくず屋の手に渡ってしまったのかもしれない。郷里の家は人に貸してあるので、たまたま帰省しても、締め切ったままの座敷倉へはいる機会はまれである。のみならず
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