ら約二十年の間自分につきまとっていた。そうしてとうとう身親しくその地をおとずれる日が来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁はおおかた取り払われてしまって、かえって二十年前の現実が四十年前の幻像の中に溶け込むようにも思われるのである。
ナポリの湾内にイタリアの艦隊の並んだ絵も一枚あった。背景にはヴェスヴィオが紅の炎を吐き、前景の崖《がけ》の上にはイタリア笠松《かさまつ》が羽をのしていた。一九一〇年の元旦《がんたん》にこの火山に登って湾を見おろした時には、やはりこの絵が眼前の実景の上に投射され、また同時に鴎外《おうがい》の「即興詩人」の場面がまざまざと映写されたのであった。
静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒《ぶどうしゅ》のはいったコップ、半分皮をむいたみかん、そんなものが並んでいた。そしてそれはその後に目で見た現実のあらゆるびんやコップや果物《くだもの》よりも美しいものであった。すべてがほの暗いそうして底光りのする雰囲気《ふんいき》の中から浮き出した宝玉のようなものであった。
そうして
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