て一人の田舎少年《いなかしょうねん》の柴《しば》の戸ぼそにおとずれたようなものであったらしい。
当時は町の夜店に「のぞきからくり」がまだ幅をきかせていた時代である。小栗判官《おぐりはんかん》、頼光《らいこう》の大江山《おおえやま》鬼退治、阿波《あわ》の鳴戸《なると》、三荘太夫《さんしょうだゆう》の鋸引《のこぎりび》き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇《やみ》に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京みやげの「江戸絵」を染めたアニリン色素のなまなましい彩色がまだ柔らかい網膜を残忍にただらせていたころの事である。こういうものに比べて見たときに、このいわゆる「油絵」の温雅で明媚《めいび》な色彩はたしかに驚くべき発見であり啓示でなければならなかった。遠い美しい夢の天国が夕ばえの雲のかなたからさし招いているようなものであった。
当時の自分のこの「油絵」の貧しいコレクションの中には「シヨンの古城」があった。それからたしかルツェルンかチューリヒ湖畔の風景もあった。スイスの湖水と氷河の幻はそれか
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