う。泣き伏すところなどでも肩の運動一つでその表情の特徴が立派に表現される。見ているものは熱い呼吸を感じ心臓の鼓動を聞くことができるのである。
 このように無生の人形に魂を吹き込む芸術が人形使いの手先にばかりあるわけではない。舞台の右端から流れだす義太夫《ぎだゆう》音楽の呼気がかからなければ決してあれだけの効果を生ずることはできないのはもちろんである。それかといって、人形の演技は決してこの音楽のただの伴奏ではなくて、聴覚的音楽に対する視覚的音楽の対位法であり、立派な合奏である。もっともこの関係は歌舞伎《かぶき》でも同様なわけであろうが、人形芝居において、それがもっとも純化され高調されているように思われるのである。
 次の幕は「葛《くず》の葉《は》の子別れ」であった。畜生の人間的恩愛を描いたこの悲劇の不思議な世界の不思議な雰囲気《ふんいき》も、やはり役者が人形であるがためにかえっていっそう濃厚になり現実的になるからおもしろいのである。
 最後に「爆弾三勇士」があったが、これも前に一見した新派俳優のよりもはるかにおもしろく見られた。人間がやっていると思うと、どうしても感じる矛盾や不自然さが、
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