人形だと、そう感じられない。あれで、もし背景などをもう少しくふうしてあれほど写実的にしなかったら、いっそう良い効果を得られはしなかったかと思われたのであった。
こういう新しいものを人形芝居に取り入れることについては異存のある人が多いようであるが自分はそうは思わない。もっと遠慮なく取りいれてみてもいいだろうと思う。見なれないうちは少しおかしくても、それはかまわない。百年の後には「金色夜叉《こんじきやしゃ》」でも「不如帰《ほととぎす》」でもやはり古典になってしまうであろう、義太夫《ぎだゆう》音楽でも時とともに少しずつその形式を進化させて行けば「モロッコ」や「街《まち》の灯《ひ》」の浄瑠璃化《じょうるりか》も必ずしも不可能ではないであろう。こんな空想を帰路の電車の中で描いてみたのであった。
このはじめて見た文楽の人形芝居の第一印象を、近ごろ自分が興味を感じている映画芸術の分野に反映させることによってそこに多くの問題が喚起され、またその解決のかぎを投げられるように思われる。特に発声映画劇と文楽との比較研究はいろいろのおもしろい結果を生むであろうと思われる。そうしてその結果は人形芸術家にも映
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