である以上は、こうした粗末な下手《へた》な子供人形のほうが、あるいはかえって生きたよだれくりどもよりよいともいわれる。
松王丸《まつおうまる》の松王丸らしいのに驚かされた。人間の役者の扮《ふん》した松王丸の中には、どうしても、その役者が隠れていて、しかも大いにのさばっているために、われわれは浄瑠璃《じょうるり》の松王丸を見るかわりに俳優何某の松王丸しか見ることができないのであるが、この人形の松王丸となると、それが正真正銘の浄瑠璃の世界から抜けだして来た本物の松王丸そのものになっている。つまり絶対の松王丸になっているのである。そうしてそれがそれほど誇張されない身ぶりの運動のモンタージュによって、あらゆる悲痛の腹芸を演ずるからおもしろいのである。
松王丸の妻もよくできていた。源蔵《げんぞう》の妻よりもどこか品格がよくて、そうして実にまた、いかなる役者の女形《おんながた》がほんとうの女よりも女らしいよりもさらにいっそうより多く女らしく見える。女の人形の運動は男のよりもより多く細かな曲線を描くのはもとより当然であるが、それが人形であるためにそういう運動の特徴がいっそう抽象示揚されるのであろ
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