っているともまた笑っているともつかぬ顔である。しかしまたそれだから、大いに泣き、大いに怒りまた笑った顔となりうる潜在能をもった顔である。
 それで、巧妙な音楽と人形使いの技術との適当なモンタージュによって、同一の顔がたちまちにして大いに笑い、たちまちにしてまた大いに泣くのである。こういう芸術を徳川時代の民間の卑賤《ひせん》な芸人どもはちゃんと心得ていたわけである。
 生まれてはじめて見た人形芝居一夕のアドヴェンチュアのあとでのこれらの感想のくどくどしい言葉は、結局十歳の亀《かめ》さんや、試写会における児童の端的で明晰《めいせき》なリマークに及ばざることはなはだ遠いようである。文楽や歌舞伎《かぶき》に精通した一部の読者の叱責《しっせき》あるいは微笑を買うであろうという、一種のうしろめたさを感じないわけにはゆかない。
 自分が文楽を見たころにちょうどチャップリンが東京に来ていた。だれかきっとチャップリンを文楽へ案内するだろうと予期していたが、とうとう一度も見には行かなかったようである。この頭のいい映画監督は、この文楽の人形芸術のうちから、必ず何物かを拾いあげて自分の芸術に利用したのではなか
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