映画における大写し、いわゆるクローズアップの場合である。この技術によって観客の目は対象物の直前に肉薄する。従って顔の小じわの一つ一つ、その筋肉の微細な運動までが異常に郭大される。指先の神経的な微動でもそれが恐ろしくこくめいに強調されて見える。それだから大写しの顔や手は、決して「芝居」をしてはいけないことになっている。それをするといやみで見ていられなくなるのである。
それだのに、頭の悪い監督の作った映画では、ちょんまげのかつらをかぶって、そうして、舞台ですると同じようなグロテスクなメーキャップにいろどった顔を、遠慮なくクローズアップに映写する。そうして、舞台ですると同じような誇張された表情をさせる。これでは観客は全く過度の刺激の負担に堪えられなくなるのである。
巧妙な映画監督は、大写しのなんともない自然な一つの顔を、いわゆるモンタージュによって泣いている顔にも見せ、また笑っているようにも見せる。これはその顔が自然の顔でなんら概念的な感情を表現していないからこそ可能になるわけである。同じことは能楽の面の顔についても人形芝居の人形の顔についてもいわれる、これらの顔は泣いているともつかず怒
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