ところがあります。このようにあるところでは満潮であるのに他のところでは干潮になったり、内海の満干の高さが外海の満干の高さの倍になるところのあるのは、潮の流れが狭い海峡を入るために後れ、また、方々の入口から入り乱れ、重なり合うためであります。
 このような訳ですから広い灘と灘を連絡する海峡の両側の海面の高さが時刻によって著しく違うようなところも出来ます。そうすると水面の高い方から低い方へ海の水が盛んに流れ込むので強い潮の流れが出来ます。瀬戸内海にはこのような場所が沢山にあります。中でも早吸《はやすい》の瀬戸などは神武天皇が東征の時に御通りになったというので、歴史で名高くその名も潮流の早い事を示していて大変に面白い名でありますが、今ではただ豊後《ぶんご》海峡と呼ばれています。伊予の西の端に指のように突き出た佐田岬《さだみさき》半島と豊後の佐賀《さが》の関《せき》半島とは、大昔には四国から九州につながった一つの山脈であったのが、海峡の辺《ほとり》の大地が落ち込んだためにあのような半島とこの豊後海峡が出来たという事です。今でもこの海峡には海の底に狭い敷居のような浅いところが連なってその両側はそ
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