を捜しに出かけるのだと仮定してみる。帽子も羽織も質に入れたくらいなら電車賃がないという事も可能である。あの男の顔つき目つきはこの仮説を支持するに充分なもののように思われた。そうだとすれば実にかわいそうな父子《おやこ》である。円タクでも呼んで乗せて送ってやってもしかるべきであったという気がした。
しかし、また考えてみると、近ごろ新聞などでよく、電車切符を人からねだっては他の人に売りつける商売があるという記事を見ることがある。この男は別に切符をくれともなんとも言いはしなかったが、しかし、あの咄嗟《とっさ》の場合に、自分が、もう少し血のめぐりの早い人間であったら、何も考えないで即座に電車切符をやらないではおかないであったろうと思われるほどに実に気の毒な思いをそそる何物かがあの父子の身辺につきまとっていたではないか。
しかし、また考えてみると、切符をくれと言わずに切符をもらうという巧妙な手段を考えてそれを遂行するとすれば、だれが見てもいかにも切符をやりたくなるというだけの何物かを用意しなければならぬのは明らかなことである。それには寒空に無帽の着流し、足駄ばき、あごの不精ひげに背の子等は必要
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