の壮漢が大きな浴室の中に言葉どおりに異彩を放っていたという生来初めて見た光景に遭遇したのであった。いわゆる倶梨伽羅紋々《くりからもんもん》ふうのものもあったが、そのほかにまたたとえば天狗《てんぐ》の面やおかめの面やさいころや、それから最も怪奇をきわめたのはシヴァ神の象徴たるリンガのはなはだしく誇張された描写であった。
 げじげじから泥坊《どろぼう》、泥坊からしらみを取って食う鍛冶橋見付の乞食、それから小田原の倶梨伽羅紋々と、自分の幼時の「グロテスク教育」はこういう順序で進捗《しんちょく》して行ったのであった。この教程は今考えてみると偶然とは言いながら実によくできていたと思う。この教程の内容を今ここで分析するとすれば、おそらく数十枚の原稿紙を要するであろう。
 それはとにかく、子供の時代に受けたいろいろの有益な「美的教育」のかたわらにこうした「グロテスク教育」もあったということは、つい近ごろまで意識しないでいたことである。それを意識した今日から翻ってよくよく考えてみると、こういう一見はなはだいかがわしいグロテスク教育も、美的教育と相並んで、少なくも自分の場合においてはかなり大切なものであ
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