うの仕事であるかのように思われた。
 このしらみ取りの光景がよほど気に入ったものと見える。当時自分のいたずら書きをした手帳が近年まで郷里の家に保存されていたが、その手帳にこの鍛冶橋外《かじばしそと》の乞食《こじき》がしらみを取っている絵がいくつとなくかいてあった。この稚拙なグロテスクのスケッチはけだし傑作であったと思う。その当時まだしらみの実物を手にしたことはなかったはずであるが、しかしその絵にはこの虫がだいたい紡錘形をした体躯《たいく》の両側に数本の足の並んだものとして、写実的にはとにかく、少なくも概念的に正しく描かれているのである。
 いよいよ東京を立って横浜《よこはま》までは汽車で行ったが、当時それから西はもう鉄道はなかったので、汽船で神戸《こうべ》まで行くか人力《じんりき》で京都まで行くほかはなかった。われわれの家族は東海道見物かたがた人力のほうを選んで長い陸路の旅をつづけたのであった。第一夜は小田原《おだわら》の「本陣」で泊まったが、その夜の宿の浴場で九歳の子供の自分に驚異の目をみはらせるようなグロテスクな現象に出くわした。それは、全身にいろいろの刺青《いれずみ》を施した数名
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