った。この、姿を見せないで大きな結果だけを残して行った「盗賊」と、形は見えないがわが家の生活に大きな変化をもたらした「げじげじ」とが幼時の記憶の中で親密に握手をしている。
家を引き払ってからしばらくの間、鍛冶橋外《かじばしそと》の「あけぼの」という旅館に泊まっていた。現在鍛冶橋ホテルというのがあるが、ほぼあれと同位置にあったと思われる。
「あけぼの」の二階の窓から見おろすと、橋のたもとがすぐ目の下にあった。そこに乞食《こじき》が一人、いつ見ても同じ所で陽春の日光に浴しながらしらみをとっていた。言葉どおりにぼろぼろの着物をきて、頬《ほお》かぶりをした手ぬぐいの穴から一束の蓬髪《ほうはつ》が飛び出していたように思う。
しらみを取っているのだということはもちろんはじめは知らなかった。だれかから教わって始めて覚えたことである。きたない着物を引っぱっては何かしら指の先でつまみ取り、そうして口へ運んではかみつぶしている光景が、ひどく珍しく不思議なものに思われた。それがいつのぞいて見ても根気よく同じことを繰り返しているのである。ほかには何もすることがなくて、ただしらみを取るだけがこの男の一日じゅ
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