や身ぶりをするのを見ていても、少しも笑いたくならなかった。むしろ不快な悲しいような心持ちがした。酒宴の席などでいろいろ滑稽《こっけい》な隠し芸などをやって笑い興じているのを見ると、むしろ恐ろしいような物すごいような気がするばかりで、とてもいっしょになって笑う気になれなかった。もっともこれは単にペシミストの傾向と言ってしまえば、別に問題にはならないかもしれないが。
そうかと思うと、たとえばはげしい颶風《ぐふう》があれている最中に、雨戸を少しあけて、物恐ろしい空いっぱいに樹幹の揺れ動き枝葉のちぎれ飛ぶ光景を見ている時、突然に笑いが込みあげて来る。そしてあらしの物音の中に流れ込む自分の笑声をきわめて自然なもののように感ずるのであった。
あるいは門前の川が汎濫《はんらん》して道路を浸している時に、ひざまでも没する水の中をわたり歩いていると、水の冷たさが腿《もも》から腹にしみ渡って来る、そうしてからだじゅうがぞくぞくして来ると同時にまた例の笑いが突発する。
いずれの場合にも、普通いかなる意味においても決して笑うべき理由は見つからないが、それにもかかわらず笑いの現象が現われ来るのをいかんとも
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