はカラフトから南は台湾《たいわん》まで足跡を印しない土地は少ないのだそうである。テントの中で昼食の握り飯をくいながら、この測夫の体験談を聞いた。いちばん恐ろしかったのは奄美大島《あまみおおしま》の中の無人の離れ島で台風に襲われたときであった。真夜中に荒波が岸をはい上がってテントの直前数メートルの所まで押し寄せたときは、もうひと波でさらわれるかと思った。そのときの印象がよほど強く深かったと見えて、それから長年月の後までも時々夢魔となって半夜の眠りを脅かしたそうである。また同じ島に滞在中のある夜|琉球人《りゅうきゅうじん》の漁船が寄港したので岸の上から大声をあげて呼びかけたら、なんと思ったかあわてて纜《ともづな》をといて逃げうせ、それっきり帰って来なかったそうである。カラフトでは向こうの高みから熊《くま》に「どなられて」青くなって逃げだしたこともあるという。えらい大きな声をして二声「どなった」そうである。
 テント内の夜の燈火は径一寸もあるような大きなろうそくである。風のあるときは石油ランプはかえって消えやすくていけないそうである。
 なんの気なしにもらって飲んだお茶の水は天気のいい時は峰《みね》の茶屋《ちゃや》からここまでかつぎ上げなければならぬ貴重なものである。雨のときはテントの屋根から集めるという。
 晴夜が三晩もあれば、観測は終了するはずであるが、ここへテントを張ってから連日の雨か曇りでどうしても星が見えない。しかしいつなんどき晴れるかもしれないから、だれか一人は交代の不寝番で空を見張っていなければならない。燈火が暗いから読書や書きものもぐあいがよくない。ラジオを聞いたらいいではないかといったら、電池を消耗するから時報と天気予報以外は聞かないのだという。これがアメリカあたりの観測隊であったら、おそらく電池ぐらいかなり豊富に運び上げて、その日その日のラジオで時を殺し、そうしてまたおそらくポータブルのジャズでステップを踏み、その上にうまいコーヒーで午後の一時間を陽気に朗らかに楽しむではないかと思う。
 しかしわが貧乏国日本の忠実な少壮学者は貧乏な大学の研究所のために電池のわずかな費用を節約しつつ、たくあんをかじり、渋茶に咽喉《のど》を潤してそうして日本学界の名誉のために、また人間の知恵のために骨折り働いているのである。
 ろうそくをはい上がって行く一匹の足長蜘蛛《あ
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