ないようであった。なんだか予想が外れたというだけでなしに一種の――ごく軽い淋しさといったような心持を感じた。
 それから後はいつまで経っても、もう蜂の姿は再び見えなかった。私はどうしたのだろうと色々な事を想像してみた。往来で近所の子供にでも捕えられたか、それとも私の知らないような自然界の敵に殺されたのかとも考えてみた。しかしまたこの蜂が今現にどこか遠いところで知らぬ家の庭の木立に迷って、あてもなく飛んでいるような気もした。
 私は親しい友達などが死んだ後に、独りで街の中を歩いていると、ふとその友が現に同じ東京のどこかの町を歩いている姿をありあり想像して、云い知れぬ淋しさを感ずる事があるが、この蜂の場合にもこれとよく似た幻を頭に描いた。そして強い眩しい日光の中にキラキラして飛んでいる蜂の幻影が妙に淋しいものに思われて仕方がなかった。
 ある日何かの話のついでにSにこの話をしたら、Sは私とはまるでちがった解釈をした。蜂は場所が悪いから断念して外へ移転したのだろうというのである。そう云われてみればあるいはそうかもしれない。実際両側に広い空地を控えたこの垣根では嵐が吹き通したり、雨に洗われたり
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