た得てもそれを発表しないで死んでしまった者も沢山あるかもしれない。そんな人は脇目にはこの簑虫と変ったところはなかったかもしれない。
 こんな空想に耽《ふけ》りながら見ていると、簑の上に隙間なく並んでいる葉柄の切片が、なんだかこの隠れた小哲学者の書棚に背皮を並べた書物ででもあるような気がした。
 この簑について思い出すのは、私が子供の時分に、母か誰かに教わったままに、簑虫の裸にしたのを細かに刻んだ色々の布片と一緒にマッチの空箱の中に入れて、五色の簑を作らせようとした事である。この試験の結果は熱心な期待を裏切って、虫は死んでしまった。それにもかかわらず、美しい五彩の簑を纏うた虫の心象《イメージ》だけは今も頭の中に呼び出す事が出来る。ところが、つい近頃私の子供等がやはり祖母にこの話を聞いて私の失敗した経験を繰返していたようである。いったいこの話は事実であろうか。事実であるとしても稀有《けう》な事であるか、それとも普通な事であろうか。私の母自身にも実際自分で経験したのではないかもしれないが、つい今までそれを確かめてはみなかった。また別に今すぐ確かめようとも思っていない。そういう種類の事が容易《
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