を食っていた。それが、通りかかったボーイを呼び止めて何か興奮したような大声で「カントクサン、呼んでください。カントクサン、呼んでください」と繰り返している。やがてやって来たボーイ頭《がしら》をつかまえて「このアイスクリーム、チトモツメタクナイ。ワタクシもう三つ食べました。チトモツメタクナイ。――。ツメタイノ持って来てください。ツメタイアイスクリーム持って来てください」というのである。
 結局シャーベットか何かを持って来たのでそれでやっとどうやら満足したらしく、傍観者の自分もそれでやっと安堵《あんど》の思いをしたことであった。
 その「つめたいアイスクリーム」の「つめたい」に特別のアクセントを置いて、なんべんとなく、泣くように訴えるように恨むように、また堪え難い憤懣《ふんまん》を押しつぶしたような声で繰り返している片言まじりの日本語を聞いていたときに、自分はやはり妙に悲しいようなさびしいような情けないような不思議な感じに襲われて、その当時の印象がいつまでも消えないで残っていた。それも今この眼前の老人の「七十銭」と「タオル」の事件に際して再び如実に思い出したのであった。
 老人がその環境へ
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