の客にはタオルを持って来るのに、わしには持って来んじゃないか」とも言っているようである。
 これが二十年前のこういう種類の飲食店だと、店の男がもみ手をしながら、とにかく口の先で流麗に雄弁なわび言を言って、頭をぴょこぴょこ下げて、そうした給仕女をしかって見せるところであろうが、時代の一転した一九三五年の給仕監督はきわめて事務的に冷静に米国ふうに事がらを処理していた。媚《こ》びず怒らず詐《いつわ》らず、しかも鷹揚《おうよう》に食品定価の差等について説明する、一方ではあっさりとタオルの手落ちを謝しているようであった。
 しかし悲しいことにはこのたぶん七十歳に遠くはないと思われる老人には今日が一九三五年であることの自覚が鮮明でないらしく見えた。
 この老人のやるせなき不平と堪え難き憤懣《ふんまん》を傍観していた自分は、妙に少し感傷的な気分になって来た。なんだかひどくさびしいような心細いようなえたいの知れない気持ちが腹の底からわいて来るように思われた。
 ずっと前のことであるが、ある夏の日|銀座《ぎんざ》の某喫茶店《ぼうきっさてん》に行っていたら、隣席に貧しげな西洋人の老翁がいて、アイスクリーム
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