だと思う。随筆は何でも本当のことを書けばよいのであるが、小説は嘘を書いてそうしてさも本当らしく読ませなければならないからである。尤《もっと》も、本当に本当のことを云うのも実はそう易《やさ》しくはないと思われるが、それでも本当に本当らしい嘘を云うことの六かしさに比べれば何でもないと思われる。実際、嘘を云って、そうして辻褄《つじつま》の合わなくなることを完全に無くするにはほとんど超人的な智恵の持主であることが必要と思われるからである。
真実を記述するといっても、とにかく主観的の真実を書きさえすれば少なくも一つの随筆にはなる。客観的にはどんな間違ったことを書き連ねていても、その人がそういうことを信じているという事実が読者には面白い場合があり得るからである。しかし本来はやはり客観的の真実の何かしら多少でも目新しい一つの相を提供しなければ随筆という読物としての存在理由は稀薄になる、そうだとすると随筆なら誰でも書けるとも限らないかもしれない。
前記の小説家もこんなことぐらいはもちろん承知の上でそれとは少し別の意味でそう云ったには相違ないが、しかし不用意に読み流した読者の中には著者の意味とちがっ
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