にそういう感じを助長した。
 ずっと裏の松林の斜面を登って行くと、思いがけなく道路に出た。そこに名高い花月園《かげつえん》というものの入口があった。どんなにか美しいはずのこんもりした渓間《たにま》に、ゴタゴタと妙な家のこけら葺《ぶき》の屋根が窮屈そうに押しあっているのを見下ろして、なるほどこうしたところかと思った。
 西の方へ少し行くと、はじめて自然の野があって畑には農夫が働いていた。しかし一方を見ると、大きなペンキ塗の天狗の姿が崖の上に聳《そび》えているのに少なからず脅かされた。
 帰りの電車はノルマルに込んでいた。並んで立っていた若い会社員風の二人連れが話しているのを、聞くともなく聞いていると、毎朝同じ時刻に乗る人がみんなそれぞれ乗り込む車の位置に自ずからきまりがあると見えて、同じ顔が同じところにいつでも寄り合うようだと云っていた。そうかもしれない。しかし同じ顔を見た時の印象が、見なかった時の印象を掩蔽《えんぺい》してそう思わせるのかもしれない。
 品川から上野行は嘘のように空いていた。向い側に小間物を行商するらしい中年女が乗って、大きな荷物にもたれて断えず居眠りをしていた。浴衣の膝頭に指頭大の穴があいたのを丹念に繕ったのが眼についた。汚れた白足袋の拇指《おやゆび》の破れも同じ物語を語っていた。
 相場師か請負師とでもいったような男が二人、云い合わせたように同じ服装をして、同じ折かばんを膝の上に立てたり倒したりしながら大きな声で話していた。四万円とか、一万坪とか、青島《チンタオ》とか、横須賀とかいう言葉が聞こえた時に私の頭にはどういうものかさっき見た総持寺の幻影がまた蘇って来た。
 兵隊が二、三人鉄砲を持ってはいって来た。銃口にはめた真鍮《しんちゅう》の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が中学生のとき、エンピール銃に鉛玉を込めて射的《しゃてき》をやった事を想い出した。単純に射的をやる道具として見た時に鉄砲は気持のいいものである。しかしこれが人を殺すための道具だと思って見ると、白昼これを電車の中に持ち込んで、誰も咎める人のないのみならず、何の注意すらも牽《ひ》かないのが不思議なようにも思われた。
 結局絵は一枚も描かないで疲れ切って帰って来たのであった。しかしケンプェルの挿絵の中にある日本を思いがけないところで見付け出しただけはこの日の拾い物であった。

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