論、熊にも逢わなかった。
 後方羊蹄山《しりべしさん》は綺麗な雲帽を冠っていた。十分後には帽が三重のスカーフ雲の笠になっていた。
 倶知安《くっちゃん》の辺まで来るとまた稲田がある。どこまで行っても稲田は追っかけて来るのである。それでいて楽には米が食えないのが今の日本の国である。
 札幌で五晩泊った。植物園や円山《まるやま》公園や大学構内は美しい。楡《エルム》やいろいろの槲《かしわ》やいたや[#「いたや」に傍点]などの大木は内地で見たことのないものである。芝生の緑が柔らかで鮮やかで摘《つ》めば汁の実になりそうである。鮭が林間の小河に上って来たり、そこへ熊が水を飲みに来ていた頃を想像するのは愉快である。北海道では、今でもまだ人間と動植物が生存競争をやっていて、勝負がまだ付いていないという事は札幌市内の外郭を廻っても分る。天孫民族が渡って来た頃の本土のさま、また朝鮮の一民族が移って来た頃の武蔵野のさまを想像する参考になりそうである。
 札幌の普通の住家は室内は綺麗でも外観が身萎《みすぼ》らしい。土ほこりを浴びた板壁の板がひどく狂って反りかえっているのが多い。
 有名な狸小路では到る処投売り
前へ 次へ
全16ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング