の立札が立っていた。三越支店の食堂は満員であった。
月寒《つきさっぷ》の牧場へ行ったら、羊がみんな此方《こっち》を向いて珍しそうにまじまじと人の顔を見た。羊は朝から晩まで草を食うことより外に用がないように見える。草はいくら食ってもとても食い切れそうもないほど青々と繁茂しているのである。食うことだけの世界では羊は幸福な存在である。
六日の朝札幌を立った。倶知安で買った弁当の副食物が、物理的には色々ちがった物質を使ってあるがどれにも味というものが欠けていた。この線路は一体に弁当がよくないので有名だという話である。この辺から汽車の音がサッポロクッチャンというように聞え出して、いつまでもそう聞えるのであった。
帰路の駒ヶ岳には虹が山腹にかかって焼土を五彩にいろどっていた。函館の連絡船待合所に憐れな妙齢の狂女が居て、はじめはボーイに白葡萄酒を命じたりしていたが、だんだんに暴れ出して窓枠の盆栽の蘭の葉を引っぱったりして附添いの親爺《おやじ》を困らせた。それからしゃがれた声で早口に罵《ののし》りはじめ、同室の婦人を指《ゆびさ》しては激烈に挑戦した。何を云っているかは聞取れない。巡査と駅員に守ら
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