ふさわしいシーザーが現われファシズムが生れた。今眼前にこの岩手山の実に立派な姿を眺め、その麓《ふもと》に展開する山川の実に美しい多様な変化を味わっていると、どうしても日本はやはり八百万《やおよろず》の神々の棲処《すみか》であり、英雄の国であり、哲人の国であり、食うことと飲むことの外にまだ色々様々大事なことのある国だとしか思われないのである。こんな理窟にも何にもならない理窟を考えながら、岩手山の山霊に惜しい別れを告げたのであった。
 林檎畑《りんごばたけ》の案山子《かかし》は、樹の頂上からぴょこんと空中へ今正に飛び出した所だと云ったような剽軽《ひょうきん》な恰好をしている。農婦の派手な色の頬冠りをした恰好がポーランドあたりで見かけたスラヴ女の更紗《さらさ》の頬冠《ほおかぶ》りを想い出させる。それからまた、どこの国でも婆さんは同じような婆さんである。婆さんはユニヴァーサルに国境を超越した存在だと思う。婆さんに人種はないのである。
 北へ行くほど人間の少なくなるのを感じる。たまたま停まる停車場に下りる人もなければ乗る人もない。低い綿雲が垂れ下がって乙供《おつとも》からは小雨が淋しくふり出した
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